◎ 太宰が住んだ大宮の景色は、今、どうなっているのか。。。
◆ 宇治病院
古田氏が住み、太宰が執筆をしながら通院していた宇治病院は
昔と変わらぬ場所に、今でもあります。
裏には、当時からある、太宰が死の前日に訪れた当時のままの
ご自宅が現存しています。
◆ 小野沢宅あと
ここの奥、角から二軒目の家の所が小野沢宅があった場所です。
家は取り壊され、ブロック塀だけが残されています。
現在はその場所にはブティックの建物があり、当時をしのぶ事は
できないのが残念です。
◆ 松の湯あと
太宰が通った「松の湯」があった場所には、蓮見医院があります。
こちら側は氷川神社の参道に面した方ですが、松の湯の入口は
左脇の細い路地に面していたそうです。
◆ 氷川神社の参道
大宮で太宰が見た景色で、唯一まったく変わらないであろうと
思われるのは、この参道でしょう。
ただ昔は、参道脇に闇市のバラックが並び、それは平成元年
「平成ひろば」として整備されるまであったそうです。
今ではバラックは取り壊され、当時の面影はありません。
◆ 中華料理「天清」
※ 閉店しました。
太宰に自宅を仕事場として提供した小野沢さんが経営していた
お店はいまでも健在です。
当時は、現在の「すずらん通り」沿いにありましたが、昭和35年
大宮東口商店街を襲った大火災で焼けてしまい、現在の高島屋
の一角、そして現在の南銀座通り近くに移りました。
当時は天ぷら屋だった(お名前の清澄から「天清」と)のですが
現在は中華料理を供しています。
お店を切り盛りしているのは、小野沢さんの息子さんの奥さん。
飲み屋街という立地から、夜5時半開店、夜中に掛け営業です。
昼間はお休みです。
毎晩常連さんたちとおかみさんの楽しい会話がはずんでいます。
◆ 映画館「日活館」あと
南銀座通り近く、上記中華「天清」の真向かいにある映画館
「日活館」へは、太宰が大宮にいた頃によく訪れていました。
太宰と、山崎富栄と、藤縄さんの3人で、見ていたのは邦画。
仕事を早く片付け、こんな楽しみも息抜きになったのでしょう。
大宮松竹ロキシー、大宮シネマリゾートなどと名を変えながら
老舗映画館として平成17年まで営業していましたが閉館。
現在では、ライブハウス「マッカーサー」となっています。
パブやキャバレーの集まる、夜になると華やかなところです。
※ 新情報あり、「大宮座」は削除しました。
◆ 大宮製油 ( 旧 逸見製油 )
中央デパートの裏手にある大宮製油は、戦前から営業する
菜種油、胡麻油の老舗です。
現在は、商業ビルと立体駐車場になっている場所、ここには
かつて大きな製油工場が何棟も並んでいました。
その頃は、農家の方が、たくさんの菜種の束を抱えて、
この工場を出入りする姿が見られました。
また、この工場からもくもくと立ち上る煙は、大宮駅からも見え、
いわゆる大宮のランドマークとなっていました。
太宰が大宮へ着いて初めて見た景色といってもいいでしょう。
執筆地を提供した小野沢さんは天ぷら屋でしたから、その頃
太宰に供した料理もこの胡麻油が使われたかもしれません。
現在は店舗だけが昔のまま残り、伝統の味を提供しています。
ペットボトルを持っていくと、骨董品の様なクラシカルな機械で
油を注ぎ沸け、量り売りをしてくれます。
◆ 務台医院あと
太宰が、古田晁、山崎富栄とともに大宮へ到着した時には
かなり疲れて、小野沢宅まで歩いて行くにも辛い状態でした。
そこで、駅近くの務台医院へ行き、ビタミン剤などの点滴を
打ってもらいました。
古田と山崎富栄が待合室で笑い会って話が弾んでいる時、
太宰は処置室で横になり、一言も話さなかったそうです。
ここも比較的最近まで、洒落た洋館が残っていたのですが
現在では美容室「モリオ・フロム・ロンドン 大宮一号店」に
なっています。
◆ 居酒屋 「いづみや」
大宮駅前、とても目立つ位置に昭和の佇まいを見せる「いづみや」。
この付近にお店を構えたのは、昭和22年からだそうです。
つまり、太宰が大宮駅に降り立った時、もうこの景色は存在しました。
そしてその雰囲気は、今でもほとんど変わりません。
のれんの奥から、いつも常連さん達の楽しい笑い声が漏れています。
多くの人たちと呑む酒が好きだった太宰が、この前を通ったら素通り
できなかったでしょうね。
私も時々、カウンタで知り合った見知らぬ大先輩と大いに盛り上がり
時には、お酒を一杯、ご馳走になってしまったりします。
いづみや、最高!
※ 私は、「いづみや第二支店」を常連としています。
◆ 大西屋酒店
執筆地である小野沢宅と、宇治病院のちょうどあいだ、通り道に
このお店はあります。
建物は昭和元年に建てたもの、ということは太宰が見た景色に
なりますし、酒屋だったら、太宰が立ち寄らないはずありません。
当時は、店先で呑ます酒屋も多かったですし。
また、今もお元気な先代の奥さんは、当時、小野沢宅へ配達を
していたという事ですので、太宰が飲んだ「角瓶」は、ここからの
お届けだったようです。