◎埼玉県と太宰の関係『人間失格』執筆だけではありません。こんな小ネタも。。。
◆ 北澤楽天
明治から昭和に掛け、風刺漫画などで世に名を馳せ、近代漫画の祖
日本最初の漫画家と呼んだ北澤楽天は、現在の大宮高島屋の辺り、
紀州徳川家の本陣として栄えた北澤家の屋敷で生まれました。
ちょうど、太宰が大宮に来た昭和23年、楽天は郷里の大宮市に戻り、
新しい自宅を「楽天居」と称し、日本画を描く日々を送り始めました。
「自分はわずかに、粗悪な雑誌の無名の下手な漫画家になる事が
出来ただけでした。」
『人間失格』の第三の手記に、突然、大庭葉蔵の職業を語るシーンが
登場しますすが、これは、古田氏から楽天の事を聞き、彼の生まれた
ここ大宮で小説を書く事に敬意を表し、主人公の職業を急きょ決めた
のではないでしょうか。
◆ 福禄ストーブ
太宰の故郷である津軽には「津軽鉄道」という鉄道が走っています。
小説「津軽」にも登場するこの鉄道、冬には「ストーブ列車」が走る事
でも有名ですね。
実はこのストーブ、埼玉県生まれだと知っていますか?
埼玉県川口市は昔から“鋳物の街”として有名であり、映画となった
「キューポラのある街」では、吉永小百合と、鋳物工場の若者たちが
繰り広げるドラマに涙した人もいたでしょう。
この川口市でも一番大きな鋳物工場だった「福禄」のストーブは、
日本の石炭ストーブ生産80%を締めていたといいます。
現在、津軽鉄道で活躍している、石炭ストーブもこの「福禄ストーブ」
のひとつです。
◆ 伊奈忠治、玉川上水を作った男
太宰と山崎富栄を飲み込んだ玉川上水、これは江戸の飲み水
不足を解消するため、承応元年(1652年)に造られました。
当時水道奉行として事業の指揮を取ったのは伊奈忠治という男。
父の伊奈忠次とともに、利根川、荒川を造り替えるなど、江戸の
灌漑事業において、多大なる成果をおさめた人です。
この伊奈忠次、忠治親子のお墓は、大宮からJR高崎線で20分
ほど先、鴻巣市の勝願寺にあります。
ここに墓を作ることを指示したのは、かの徳川家康です。
家康は、父、忠次の功績を称え信頼する住職のいるこのお寺に
大きなお墓を建てました。
玉川上水を造った張本人が埼玉県に眠っているなど、さすがの
太宰も知らなかったでしょうけれど。