◎ 大宮太宰のキーマン 「古田 晁(ふるたあきら)」
太宰がなぜ大宮に来ることになったのか、そのお話をするには、まず
筑摩書房社長、古田晁のことをまず知って頂かねばなりません。
彼が筑摩書房を立ち上げた経緯などは、書籍やWebを見ればわかると
思いますのでそちらで調べて貰うとして、大宮との関わりからご紹介します。
古田 晁
◆ 古田晁 大宮との「縁」
古田晁の奥さん、と志さんは、大宮に開業医を営む宇治病院院長、
宇治田積(たつみ)さんの奥さん義子さんの妹でした。
当時の古田は、筑摩書房の経営が厳しく、奥さんと子供たちを信州の
実家に帰していたので、親戚である宇治家に仮住まいをしていました。
◆ 起雲閣での失敗を挽回
最初、『人間失格』の執筆をしていたのは、熱海の起雲閣でした。
この場所を充てたのも、古田でした。
古田は、もうすでに売れっ子作家になって周辺が騒がしい太宰に、
静かな仕事場を提供し、『人間失格』の執筆に没頭して欲しかったのです。
またその頃太宰は、「斜陽」のモデル、太田静子との間に子供ができ、
本名、津島修治の「治」の字を付け、「治子」と名付た直後でした。
熱海は、その太田母子の住まいに近いので、仕事場である起雲閣へ
呼ぶこともできるという古田の配慮でした。
しかしその頃、太宰の身の回りの世話をしていた愛人、山崎富栄が
監視の目で付き添ってきました。
古田が密かに計画した案は崩れ、さらに、つい太宰がそのことをしゃべり
山崎富栄は熱海に来たわけを知ってしまったのです。
嫉妬深い山崎富栄は当然、怒り狂います。
いったんは三鷹の仕事場へ戻りますが、古田は、また新たな仕事場探しに
明け暮れるのです。
そして探し当てたのが、自身がよく馴染んだ大宮でした。
◆ 仕事場をようやく発見
古田は、地元の天ぷら屋、「天清」のご主人、小野澤清澄氏に相談します。
小野澤氏も、古田と同じく信州の生まれで、店に通ううち親くなっていたのです。
大門町の自宅の奥、八畳と三畳の部屋を使うことを快諾、大宮での
仕事場が決まります。
太宰は既に胸の結核や、不眠症で悩んでおり、その通院には、親戚である
宇治病院に頼ることが出来ました。
小野澤氏の自宅から宇治病院へは歩いて5分ほどで、古田にとっても、
目を離さずに済みます。