◎ 太宰が大宮で会った人たち

 

 

◆ 古田  晁(当時42歳)

 

  

 

当時の筑摩書房社長。

古田氏の夫人と宇治病院の初代院長夫人とが姉妹だった縁で、

当時仮住まいをしていました。

また、太宰が滞在時の、結核、不眠症などの治療のため通院

していました。

古田氏と宇治氏、執筆地を提供した小野沢氏は、ともに信州の

同郷でもありました。

 

 

◆ 宇治田積(当時56歳)

 

  

 

宇治病院の初代院長。

国鉄大宮工場の担当医としても活躍し、のちに大宮町の初代

町長となります。

当時は、古田氏からの依頼で太宰の結核の診察、注射などの

処方をしていまいた。

 

 

◆ 宇治達郎(当時29歳)

 

  

 

宇治病院の二代目院長。

太宰が入水自殺をする前日に病院を訪ねその際に会っています。

当時は、世界で初めての胃カメラをオリンパスと共同で開発していました。

 

 

◆ 宇治節子(当時26歳)  宇治達郎の妹

 

宇治達郎とともに、死の前日の太宰に会っています。

その時の服装を、白のワイシャツにグレーのズボン、下駄履き

と記憶していました。それは、玉川上水への入水時と同じです。

 

 

◆ 小野沢清澄(当時55歳)

 

やなぎ小路(現在のすずらん通り)で営業していた天ぷら屋「天清」のご主人。

古田より依頼され、自宅二階を仕事場として提供しました。

「天清」は現在でも、小野沢氏の息子さんの奥さんが中華料理屋

として営業中です。

 

 

◆ 藤縄信子(当時18歳)

 

小野沢さんの姪で、執筆地の近所に住み、食事の世話などをして

いました。

よく一緒に散歩をしたり、映画を見に行ったこともありました。

 

 

◆  山崎富栄(当時29歳)

 

  

 

太宰の愛人。

太宰が滞在時は、執筆の邪魔にならぬよう編み物をしたり、

買い物に行ったりしながら、一緒に住んでいました。

最初は宇治病院で通院して処方してもらった投薬の注射を、

富栄が打つこともあったそうです。

 

 

太宰   治(当時38歳)

 

 

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