鴻巣さんぽ版 第 二 の 巻 音源はこちら


前回の鴻巣さんぽ版で、徳川家康くんのお話を致しましたね。

関が原の戦いで勝利した、で、そのご報告のために、鴻巣へ来たのでは、と。

関が原の戦い自身は軽く流しちゃったけど、じゃあ、負けたほうはどうなの?

みなさ~ん、中学の社会を思い出してね~。

家康くんに負けたのは、石田三成くんですよ~

実はね、彼もまた、この鴻巣へ来ていたことがあるんですよ。

鴻巣市の袋(ふくろ)から行田市(ぎょうだし)にかけて、石田堤(いしだつつみ)

と呼ばれる、古くからの堤防が約250mほど残っています。

今日はそのお話です。

1590年のことです。

鴻巣市のおとなり、行田市(ぎょうだし)には、忍城(おしじょう)と呼ばれるお城が

あります。

当時、小田原城で、北条くんが豊臣秀吉くんに抵抗していた頃、それに味方して

いた成田くんが住んでいたのが、このお城でした。

石田くん率いる、2万3千人の軍勢は、館林城(たてばやしじょう)、今の群馬県

館林市ですが、このお城を簡単に片付け、意気揚々と、忍城に乗り込みました。

忍城ではこの頃、ご主人の成田くんが、大軍を連れて、小田原まで、北条くんの

応援に行ってお留守でした。

残っているのは、お姫様と、奥方と、民衆を集めて即興で作った「にわか軍隊」が

わずか3000人。

ところが、忍城は、周辺に流れる川や、湿地帯などをお堀として利用したお城で

近づこうとしても、深い沼に足を取られ、なかなか攻めることができませんでした。

悩み抜いて、そこで、石田くんは、上司、豊臣秀吉くんに相談しました。

豊臣秀吉くんは、8年前に、ちょうど同じような場面での大作戦で、手柄を立てて

上司、織田信長くんに、とってもほめられたことを思い出しました。

1582年の事、備中国高松城(びちゅうこくたかまつじょう)、今の岡山市ですが

お堀がなく、城壁もないこのお城を、周辺に堤防を作って、川の水を送り込んで

沈めた事がありました。

秀吉くんの得意技のひとつ、「水攻め(みずぜめ)」です。

そこで、秀吉くんは、石田くんに、「この手を使え!」と指示します。

忍城の近くには、利根川と荒川があり、あ、その頃の荒川は、吹上駅の近くの

元荒川(もとあらかわ)の事ですよ、その間にはさまれた形で、建っているので

「水攻め」にするには、絶好の場所だと思ったわけです。

でも、策略家(さくりゃくか)で知られた石田くんは、この「水攻め」戦法が、実は

忍城には向かないんじゃないかなぁと、密かに感じていました。

忍城は、天守閣の周辺が、ちょっと高台になっていて、水を送っても、そんなに

簡単に沈むほどにはならないはずだと。。。

でも、それが言えなかったのです。

当時、秀吉くんは、社長クラスの役員。

で、今の自分は、30歳そこそこで、2万人3千人の部下を持たせてもらった

中間管理職に抜擢された身。

その立場で、口答えは出来なかった。。。

そこに、秀吉くんは、畳み掛けるように言い放ちます。

「こっちから、その時の経験者を送るから、心配するな!」

「作戦がちゃんと進んでいるか、チェックしてあげるから!」

でも、さらに耳元で、小声でささやきます。。。

「だいじょうぶ。責任取れなんて言わないから。。。フフ」

そんな無責任な上司の一言にも、石田君の頭の中には、“出世”の2文字が

浮かんでしまうのです。

そこまでフォローしてくれるなら何とかなるか。。。なる訳ないのに。

石田三成くんは、秀吉くんから言われるまま、忍城の周辺に堤防を作ります。

周辺の民衆に、

「一日に、米一升(いっしょう)、プラス日当(にっとう)60銭で手伝わんか?」

と募集したところ、どこから来たのか、10万人もの人が集まり、24kmもある

堤防が、なんと5日間で完成したそうです。

堤防に使う土は、この付近に古墳がたくさんあったので、それを崩して使えた

という利点もありました。

突貫工事での巨大堤防が無事完成し、石田くんは、今でも多くの古墳が並ぶ

「さきたま古墳群」の中でも、一番背の高い丸墓山古墳(まるはかやまこふん)

の頂上に陣を構えて、利根川、荒川の両方から水を送って、忍城が沈むのを

見届けることにしました。

徐々に水が流れ込んで、広い大地が一面の大きな湖と変わっていきましたが

なかなか、お城を自体を沈めるところまではいきません。

石田くんは、イライラしながら、はるか先にある忍城の天守閣を見つめました。

その時、何と!

せっかく作った堤防が決壊し、目の前で何百人という味方の軍と、民衆たちが

その濁流(だくりゅう)に飲まれていくのを見ることになります。

あぁ~~大失敗!!

実は、堤防作りで集めた民衆の中に、堤防を決壊しやすいように細工をした

スパイがいたのです。

だから、企画会議をする時は、ソフトバンクモバイルのコマーシャルみたいに

「スパイはこの部屋から出て行け!」って言っておかなきゃダメじゃん。

上司の秀吉くんからは、「責任取ってね!」って事になる。

そんなぁ、話が違うよぉ(泣)

ライバルの伊達(だて)くん、上杉くん、前田くんたちからも、ケチョンケチョンに

ののしられることになってしまいます。

それがのちに、「猿(豊臣秀吉くん)の猿真似で大失敗」と世間からも言われて

しまうのです。

気があせって一番大事なことを忘れてしまう性格は、のちのちまで引きずって

しまいます。

豊臣秀吉くんが亡くなって、前田利家くんもそれを追うように死んでしまったあと

いち早く反旗をひるがえした徳川家康くんに、石田くんは果敢に立ち向かいます。

一緒にいた仲間たちは、当然、味方になってくれるはずと、信じて疑わなかった。

でも、徳川家康くんは、先回りして、まわりのみんなに、こっそり耳打ちする。。。

「石田くんが、ひとりで一番を取りに行ってるらしいぜ!」(家康くん)

そんなことも知らない石田くんは、味方と思っていた軍勢が、こっちに向かって

来た時、初めて真実を知り、簡単に、本当に簡単に家康くんにやられてしまう。

だって、関が原の戦いって、あんなに天下分け目の戦いなのに、半日で決着

しちゃうんだから。

裏切ったのはみんななのに、いつも間にか、ひとり、「裏切り者」のレッテルを

張られてしまい、ついに仲間の厳しい視線を浴びながら、打ち首にあっちゃう。

も~~

何だか書いていて、どこかの会社の勢力争いのドロドロした世界を見るようで

つらいねぇ。

今でも残る石田堤の上に一人立ち、その頃の思いにふけると、石田三成くん

という男がとても身近に感じてきます。

もしかしたら、あいつ、いいヤツだったのかもしれないね。

でも、ちょっとお人よしだったよねぇ。。。


( 第二の巻 おわり )

今日のさんぽの一品

石田堤から、1Kmくらい西に向かったところに、「ものつくり大学」という大学

がありますが、その入口の交差点の「山下フライ店」が、今日のご紹介です。

まず、みなさん、「フライ」って知っていますか?

エビフライとか、アジフライとか、ああいうのとはまったく違います。

もともとは、おとなり行田市(ぎょうだし)の名物です。

行田市は、足袋(たび)の生産で有名ですが、その昔、足袋工場で女性工員

のおやつとして出したのが、始まりと言われています。

小麦粉をねって、卵を入れた生地に、長ネギや、干しエビや、さきイカなどを

入れて、鉄板でうすく焼く、お好み焼きに似た料理です。

「山下フライ店」は、行田、鴻巣周辺に50件以上あるフライ屋さんの中でも

知る人ぞ知る名店です。

メニューは、フライと焼きそばのみ。

それでも、お昼時は、外で待っている人も出るほど大人気です。

厨房の中では、おばあちゃんが焼きそばを、若い息子さんがフライを焼いて

いるのが見えます。でも、そこには張り紙が。。。

「のぞかないで下さい。恥ずかしいから。。。」

おばあちゃん、可愛い!

フライが来たら、お皿からはみ出る、その大きさに圧倒されます。

自分の顔よりも、はるかにでかい!

でも、とっても美味しくて、あっという間に、平らげることができちゃうのです。

ぜひぜひお店に行って、びっくりしちゃって下さい!

お持ち帰りも出来ますよ!


■ 旅の情報

○ 石田堤史跡公園(いしだつつみしせきこうえん)
住所:鴻巣市袋(ふくろ)326-1
※ 石田堤が250mに渡り残っています。
また、当時の様子が分かる工夫がいたる所に。面白いですよ。

〇 山下フライ店(名物フライのお店)
住所 :〒369-0013
埼玉県鴻巣市下忍1245-2
電話 : 048-548-4470
営業 : 11:00~18:00(火曜定休)




鴻巣さんぽ版目次はこちら →