鴻巣さんぽ版 第 三 の 巻 音源はこちら


初回の徳川家康、2回目の石田三成と、誰でも知ってるビッグネームから

始まった「鴻巣さんぽ版」。

でも、まだまだ、初めて聞く名前の歴史上の人物は、たくさんいますので、

そんな人たちにも、焦点をあててみます。

そこで、今日ご紹介するのは、源経基(みなもとのつねもと)くんです。

大間にある鴻巣高校のグランドのすぐ脇に、源経基(みなもとのつねもと)

の館跡(やかたあと)と伝えられるお堀があります。

今日は、そのお話です。

平安時代の頃、天皇陛下さま直系の皇族は、とてつもなく大所帯になって

皇族のみなさんが暮らす財政が大変厳しくなっていました。

そんな事で、第52代天皇、嵯峨(さが)天皇さまの頃になると、お家(いえ)

を継ぐ必要のない人たちは、皇族から出て行かざるを得なくなります。

皇族から離れた人たちは、その証(あかし)をどこかに残したいと、揃って

「源(みなもと)」あるいは「平(たいら)」の姓を名乗ります。

それが源氏、平家の誕生です。

第56代天皇、清和天皇(せいわてんのう)さまの、六男の息子にあたる

源経基(みなもとのつねもと)くんも、例に漏れず、皇族から離れます。

そうなると、とたんに世間の目は厳しい。

“天皇さまの孫”なんて肩書きは、全然通用しません。

都(みやこ)にいても面白くない!と、FA宣言をして、武蔵国(むさしのくに)

の、介(すけ=副知事)のポストを手に入れます。

そして、同じ時期にやはり皇族を離れた、興世王(おきよおう)くんと一緒に

武蔵国(むさしのくに)へ向かい、今の鴻巣市の大間に、お堀のある城館

(じょうかん)を構えました。そして、ふたりで、武蔵国のトップを名乗ります。

938年のことです。

面白くないのは、足立郡(あだちぐん)の郡司(ぐんじ=市長)、武蔵武芝

(むさしのたけしば)くんです。

「昨日今日、急に来て、あんな責任者ヅラされちゃあ、

オレたちのメンツが立たねぇ」(武芝くん)

そこで、経基(つねもと)くんたちが、勝手に領内に入ることを拒みます。

そのことに頭に来た、経基(つねもと)くんと興世王(おきよおう)くんは、

領内で大暴れ!民衆の家に押し入り、財産を、奪い取って行きました。

そうなゃあ、武芝(たけしば)くんだって、だまちゃいない!

領内の学生たちを集めて、「悪いのは経基(つねもと)たちのほうだ!」

というビラを何枚も作らせ、あっちこっちに、バラまきます。

もともと武芝(たけしば)くんは、地元のみんなから支持されている名士

だったので、やがて武蔵国の中に“経基(つねもと)バッシング”の気運が

高まってきます。

そんな一触即発の時に立ち上がった、ひとりの正義の味方がいました!

その名は。。。ジャ~ン!平将門(たいらのまさかど)くんです!

平家一族の内乱をおさめたあとに、この事件を知り、駆けつけたのです。

「武芝(たけしば)も、経基(つねもと)も、私には血筋もないやつらだが

紛争を鎮(しず)めるためにやってきた。」(将門くん)

一番ビビっていたのは経基(つねもと)くん。

そこで、軍勢を整えるとか何とか言い訳をして、ひとり館(やかた)に残り

興世王(おきよおう)くんだけを、送り出します。

興世王(おきよおう)くんと、武芝(たけしば)くん、その間に将門くんが入り

当時の国府(こくふ=県庁)があった府中で、3者会談が行なわれました。

「まあ、そんなに硬くなりなさんな。オレってそんなに怖い?」(将門くん)

などと、言葉巧みに擦り寄ってきます。

「なんだ、結構優しい人なんじゃん!」(ふたり)

ついに、ふたりを和解させ、3人で、盛大に酒盛りを始めることになります。

3人で肩組んで、カラオケとか歌っちゃったりして。

一方、ひとり鴻巣に残っていた経基(つねもと)くん。

家来から、3人の様子を伝えられます。

「3人で仲良く肩組んで酒をかっくらっていますです!」(けらいさん)

それを聞いた経基(つねもと)くんは、もしや3人が屈託し、今度は自分を

襲いに来るのではと思い込み、京へ逃げ帰ってしまいました。

も~!この臆病者(おくびょうもの)!!

京に帰った経基(つねもと)くんは、将門くんが、武蔵国に陰謀を企てて

天皇の座を狙っているらしい、と報告します。

このウワサは、たちまち広がり、京は大混乱になります。

しかし将門くんは、周辺の国々から、「そんなことないよぉ!」との証明を

取り付けたので、誤解は、たちまち解けてしまいます。

そうなると、今度は、経基(つねもと)くん。

みんなから「ウソつき!」ってことになって、牢獄へ入れられてしまいます。

しかし、のちに興世王(おくよおう)くんは、将門くんに、

「あんたが一番で良いから、一緒に国を占領しない?」(興世王くん)

とそそのかし、ある日、武芝(たけしば)くんを攻撃し、武蔵国を占領して

しまうのです。940年のことです。

将門くんたちはついに、関東一円を占領してしまいます。

そして将門くんは、周りの人に「新皇(しんのう=(新しい天皇)」と呼ばせ

独立政権を作ろう!とまで言い出しました。

俗に言う「平将門の乱」です。

このウワサが京に伝わり、また騒然とします。

そう、思いもよらず、経基(つねもと)くんの言ったとおりになってしまった

のです。

今度は、天皇さまからも、京の民衆からも、

「先見(せんけん)の目があった!、天才だ!いや預言者だ!!」

(京のみんな)

と、すっごく持ち上げられます。そして、

「先生!将門くんをやっつけて我らを助けて下さい!!」(京のみんな)

などと、泣き付かれてしまいます。

ひょんなことから、すっかり「預言者」にされてしまった経基(つねもと)くん

ですが、断りきれず、気が乗らないままトボトボと将門退治に向かいます。

そころが、経基(つねもと)くんが武蔵国へ向かっている途中に、他の武将

によって将門くんは討たれて、たまたまその首を持って帰ったら、ビックリ!

経基(つねもと)大先生が、簡単に、将門を捕らえて来た!と伝えられて

京の民衆から、大絶賛されていたのです。

経基(つねもと)くんは頭をかきながらも、まんざらでない様子、小さく手を

振りながら凱旋したのでした。

おかげで、経基くんのお家(いえ)は安泰、英雄のまま、その後の生活を

送りました。

そのあと、ずっと子孫に、あの「イイクニツクロウ」の、鎌倉幕府を作った

源頼朝、そして義経に続いていくことになります。

経基(つねもと)くんは結局、この鴻巣の館(やかた)には、武蔵国に来た

頃の1年しか住んでいなかったようですが、今でも、お堀や土塁(どるい)

がくっきりと残る遺構を眺めると、経基(つねもと)くんの、泣き笑い人生が

見えるようです。

大逆転!のハッピーエンド人生を送りたいと思っているあなた、この館跡

(やかたあと)をたずねてみてはいかがでしょう。


( 第3の巻 おわり )


今日のさんぽの一品

今日のさんぽの一品は、「葵(あおい)」というお店をご紹介致します。

実はこのお店、今日の源経基くんの調査で来ていた時に、偶然見つけた

お店でして、得意の「鼻が利く」私が選んだ、美味しい和食屋さんです。

店内は、明るく開放的なお座敷席が4つ。

くつろいでお食事が出来ます。

ランチは6種類ほどあり、750円から900円ほど。

しかし、そのボリウムが、とにかくすごい!

メインのお料理の他に、ごはん、お味噌汁、小鉢、漬物が付いています。

その他にも、ちょっともう一品という方には、単品メニューもあります。

「アン肝ポン酢」が昼間から食べれるなんて、嬉しいじゃないですか!

それから、こちらの夜の看板メニューは、しゃぶしゃぶの食べ放題です。

それも男性2000円、女性1800円ポッキリ!

そして何と!時間は無制限!!

食いしん坊なお子様も、小学生なら1600円でOK!

家族でワイワイやっちゃいましょう!

お酒も、「魔王」「佐藤」などプレミアムな芋焼酎や、「田酒」を初めとする

美味しい日本酒などが揃っています。お父さんも大満足!

ぜひこれからの忘年会などで、満腹感を体験して下さいね。



■ 旅の情報

○ 源経基館跡(みなもとのつねもとやかたあと)
住所 : 鴻巣市 大間 字(あざ)原1029

※ 立て札と石碑だけの質素な遺跡ですが、木立の中、お堀のあとが

全てを物語っています。

○ 和風居酒屋 葵(あおい)
住所 : 〒365-0047
埼玉県鴻巣市逆川1-14-5
TEL : 048-541-2961
営業 : 木曜日定休

※ ホームページは閉鎖していましたが、お店は今も健在のようです。


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