鴻巣さんぽ版 第 四 の 巻 音源はこちら


今日の鴻巣さんぽ版は、ちょっと最近のお話になります。

「鴻巣コロッケ」で有名な、「つけしん」さんのお向かい、ちょっと奥まったところに

法要寺(ほうようじ)というお寺があります。

その一角に、幕末の騒乱期に見事に戦った「関 弥太郎(せきやたろう)」という方

のお墓、今日は、その方の人生を追ってみたいと思います。

1868年の頃です。

徳川幕府を倒そうと、手を組んだ、薩摩(鹿児島県)長州(山口県)の新政府軍に

徳川慶喜(よしのぶ)くんは、追い詰められて行きます。

ついには、慶喜(よしのぶ)くんは降参し、将軍の地位を、朝廷さまに返上します。

いわゆる、「大政奉還(たいせいほうかん)」というやつですね。

しかし、新政府軍は、幕府に味方する勢力におびえ、彼らの息の根を止めようと

さらに、浪人を江戸に送り、残った幕府の軍を絶滅に追い込みます。

これに怒った慶喜くんは、旧幕府軍、会津藩などを召集し、新政府軍と戦います。

「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」の始まりです。

江戸幕府当時の家来だった有志、約130人が、あらためて集結、渋沢栄一くん

のいとこにあたる、渋沢成一郎(せいいちろう)くんを中心に、幕府の復活を誓い

合います。

その一団は、義(ぎ)を彰(あきら)かにするという意味から、彰義隊(しょうぎたい)

と呼ぶ事にしました。

そのひとりに、徳川家の旗本、つまり、直下(ちょっか)の家来だった、関弥太郎

(せきやたろう)くんもいました。

京での戦いに勝利した新政府軍は、参謀、西郷隆盛くんが、旧幕府の陸軍総裁

勝海舟(かつかいしゅう)くんと会談を行い、江戸城をも明け渡すことを求められ、

徳川慶喜(よしのぶ)くんは、水戸に送られ、謹慎(きんしん)の身となります。



しかし、そんなことは許すものか!と、強行に反対する彰義隊(しょうぎたい)は、

四代将軍家綱や、五代将軍綱吉、八代将軍吉宗など、歴代の徳川さんが眠る、

上野の寛永寺(かんえいじ)に立てこもります。

その頃の寛永寺は、現在の国立博物館や上野動物園、噴水のある大きな公園

あたりも全部敷地になっていました。

そして、あの新撰組(しんせんぐみ)と合流します。

新撰組の局長だった近藤勇(いさみ)は、このつい1ヶ月前に新政府軍のよって

打ち首に会い、生き残った組員たちは、局長の無念を晴らそうと、意を同じくする

彰義隊に賛同したのです。

新政府軍は2万人、対する彰義隊たちは、3000人ほど。

兵の数だけ取っても、どう見たって全然勝ち目はないのに、まだ刀を手放せない

彰義隊に対し、新政府軍は、イギリスから直輸入の新兵器「アームストロング砲」

というという巨大な大砲を、不忍池(しのばずのいけ)越しに、ブチかまします。

彰義隊の軍は、一日も持たず、そのほとんどを失う事になってしまうのです。

それでも、関弥太郎くんは、死ななかった!奇跡!

彰義隊の中で残ったメンバーは、新政府軍から、全国指名手配を受けましたが

世間の目をかいくぐり、各地に残る旧幕府軍を集めては、戦いを挑(いど)みます。

北陸へ、そして会津へ。

会津藩の白虎隊(びゃっこたい)が、壮絶な最後を遂げる、「会津(あいづ)戦争」

にも参戦します。

そしてさらに北へ向かい、北海道函館の五稜郭(ごりょうかく)で繰り広げられた

旧幕府軍の最後の戦いである「函館戦争」にも、榎本武揚(えのもとたけあき)、

土方歳三(ひじかたとしぞう)たちとともに、立ち向かうのです。

北海道の地に「独立共和国」を作ろうという、榎本くんの壮大な夢に向かって!

でも翌年10月のある日、深夜の内に函館山(はこだてやま)を越えた新政府軍

の総攻撃にあい、旧幕府軍は、ほぼ全滅、ついには、新政府軍に降伏(こうふく)

することになります。

これで完全に幕府は終焉(しゅうえん)を向かえ、新しい明治の世が始まります。

関弥太郎くんたちは、明治7年に、ようやく寛永寺の境内(けいだい)に彰義隊

隊士の墓を建てる事を許され、立派なお墓を作ります。

そして、あのとても悲惨な戦場だった上野の山が、日本で最初の「公園」として

整備され、国立博物館、上野精養軒などが、次々に建設されるのを見届けると

江戸、じゃなかった「東京」を離れ、鴻巣へ居住します。明治9年のことです。

名前を、「岡安喜平次(おかやすきへいじ)」と改め、長唄の師匠として、家元を

継ぎ、一生を送ったそうです。

残念ながら、「関弥太郎」の名前は、彰義隊や、函館戦争等の武勇伝には登場

しませんが、彼の唄う長唄では、

「さて弥太郎は、西郷隆盛を一撃!討たれた敵は、ズシーン!と倒れ。。。」

な~んて言って、ちゃっかりと自分を時代のヒーローに仕立てて、集まった民衆

をのけぞらせていたかもしれませんね。

でも、彰義隊(しょうぎたい)の誕生から、幕府が消滅した、最後まで生き残った

のは、本当に一握りの人だけだったわけですから、関弥太郎くんはすごかった。

どんな苦境にも負けないという、力強い意思とその成就(じょうじゅ)を果たしたい

と思う人は、彼のお墓に行ってみてはいかがですか?


( 第四の巻 おわり )



さんぽの一品

法要寺の山門の、すぐ目の前にあるラーメン屋さん「和光」が今日のご紹介です。

タッシーもまりちゃんも、おなじみのお店ですよね。

フラワーラジオでも、昔からよく出前を取っているお店とお聞きしています。

ラーメンの麺は、オリジナルの手打ち麺。

コシとのど越しは、確かに違います。

主に料理を作るのは、こちらのママさんです。

豊富なメニューから、手際よく絶妙な味を作り上げます。

テーブル席3つと、カウンタだけの小じんまりした店内には、漫画のコミック本が

すぅごくたくさんあります。

聞いたことのない珍しいものや、懐かしいものまで。

待ち時間は退屈しません。

それよりも、何と言っても、こちらのママさんの気さくなお話が楽しい!

私も、時々お昼にうかがって、いつも楽しく過ごさせて頂いています。

おすすめは、あんかけ風の和光メン。

それから、あっさり味のやきそばなど。

夜に行って、餃子とビールでのんびりしたい、そんなお店です。

ぜひ!



■ 旅の情報

○ 法要寺
住所 : 鴻巣市本町2-4-42

○ 和光
住所 : 〒365-0038
鴻巣市本町2-1-18 
電話 : 048-542-0428
営業 :11:00~19:00ころまで
定休日 月曜日 第三火曜日
※ 閉店しました。



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