鴻巣さんぽ版 第 八 の 巻 音源はこちら


時は、平安時代末期、鎌倉時代に入る前のこと。

源氏と平家の間で、壮絶な戦いが繰り広げられていました。

そして、源氏の大将、源義朝(みなもとのよしとも)くんが、平清盛くんに

討たれて、その息子たちは殺されたり、山奥に隔離されてしまいます。

頼朝(よりとも)くん、義経(よしつね)くんたちがそうでした。

でも、この兄弟、12人もいたのに、この2人以外は、あまり注目されて

いませんよね。

実は、頼朝(よりとも)くん、義経(よりつね)くんの間に、範頼(のりより)

くんという異母兄弟がいたのです。

範頼(のりより)くんのお母さんは、遠江国(とうとみのくに)の、池田宿

(いけだしゅく=磐田市(いわたし))の、遊郭(ゆうかく)の女性でした。

そこで、今の静岡県浜松市である、蒲御厨(かばのみくりや)で幼い頃

をすごしました。

じゅりりん、浜松市飯田町にある龍泉寺(りゅうせんじ)をご存知ですか?

彼が住んでいたのは、このあたりなんです。

その後、三河(名古屋市)にある熱田神宮(あつたじんぐう)の神主さん

である、藤原季範(ふじはらのすえのり)くんの所に預けられます。

季範(すえのり)くんは範頼(のりより)くんにとって、母方のおじいちゃん

であったことが縁でした。

しかし、平家の一族は、源氏の生き残りを、一人残らず捕らえ、島流し

にしたり、殺害したりと躍起(やっき)になっていました。

範頼(のりより)くんは、身の危険を感じて、鴻巣さんぽ版「第五の巻」で

登場した、安達盛長(あだちもりなが)くんを頼って、はるか、ここ鴻巣を

目指します。

盛長くんは、範頼(のりより)くんに、いたく同情し、鴻巣市のおとなり、

吉見町(よしみまち)の吉見観音・安楽寺の、実の子供としてかくまわせ

平家の追撃から、無事逃れることができました。

とともに、盛長(もりなが)くんの娘だった、亀御前(かめごぜん)ちゃん

をお嫁にもらいました。

やがて、源頼朝(よりとも)くんが、鎌倉周辺を拠点にし、次第に勢力

を伸ばしてきた1183年、範頼(のりより)くんは、その援軍(えんぐん)

として、戦いの場に初登場することになります。

その後も、範頼(のりより)くんは、将軍頼朝(よりとも)くんの代役として

軍勢を一手に任され、弟、義経(よしつね)くんとともに、いくつもの戦い

を勝ち抜いてきました。

“義経(よしつね)くんが奇襲作戦で平家軍に勝利した”と、一般的には

語られている「一ノ谷の戦い」も、範頼(のりより)軍が正面から大軍で

ゆっくりと攻めて誘ったからこそ、裏手側に回った義経(よしつね)軍の

奇襲攻撃が生きた、というわけです。

その事を見据えた頼朝(よりとも)くんは、範頼(のりより)くんを三河国

(みかわのくに)の守(もり=知事のこと)に任命し、多くの土地と財産を

与えました。

しかし、頼朝(よりとも)くんは、義経(よしつね)くんには、ごほうびさえ

与えなかった。

これが、頼朝(よりとも)くんと義経(よしつね)くんが、対立する関係と

なる、きっかけとなったのです。

頼朝(よりとも)くんは、平家軍を滅亡に追い込む、最後の戦いとして

九州への遠征を、もくろ見ます。

ある日、範頼(のりより)くんが、酒の宴(うたげ)に呼ばれました。

その席で、頼朝(よりとも)くんは、範頼(のりより)くんに、秘蔵の馬を

与えます。その頃の馬は大変貴重でした。

それだけ、この戦(いくさ)がいかに重要か、そして、その大将として、

範頼(のりより)くんに、信頼と期待を寄せていたかが分かります。

この九州遠征により、平家軍は、京と九州の間に挟まれることになり

逃げ場を失い、ついには滅びてしまうのです。

さらに、範頼(のりより)くんは、奥州(おうしゅう)の藤原一族をも破り

晴れて、1192年、鎌倉幕府は誕生しました。

ある日、範頼(のりより)くんが、頼朝(よりとも)くんの妻、政子さまと

ふたりでお城にいました。

政子さまは、曽我兄弟からあだ討ちにあいそうになってからいうもの

夫、頼朝(よりとも)くんの身の安全を、とても心配していました。

そんな、けなげな政子さまについつい気持ちが動いたのか、思わず、

「兄さんに、もしもの事があっても、おいらがいるよ!」 ( 範頼 )

それから、ふたりが、重なるシルエットになったかは。。。?

そんな一言が、夫、頼朝(よりとも)くんの耳に入ってしまいました。

頼朝(よりとも)くんの、“嫉妬(しっと)の嵐”は凄まじく、たちまち範頼

(のりより)くんを伊豆修善寺に隔離してしまいます。

そんなニュースが、結婚してからずっと単身赴任の夫を、鴻巣の実家

でひたすら待っていた、範頼(のりより)くんの妻、亀御前(かめごぜん)

ちゃんの元に届きました。

「あんなに苦労して、頼朝(よりとも)さまのお力になったのに

なんて、むごいことでしょう。」 ( 亀御前 )

いても立ってもいられない亀御前ちゃんは、愛用の薙刀(なぎなた)を

手に取り、夫のいる、伊豆修善寺へ、向かおうとします。

しかし、そのすぐあと、鎌倉からの使者から、頼朝(よりとも)くんからの

名(めい)を受けた者によって、範頼(のりより)くんは殺害されたことを

知らされます。

亀御前ちゃんは、その場に泣き崩れてしまいました。

その晩、亀御前ちゃんは、月明かりのもと、大きな川のほとりに立ち、

その川に、ザブン!と、身を投げてしまいます。

残されたのは、川の岸辺に刺さっていた、あの薙刀(なぎなた)。。。

その薙刀(なぎなた)は、鴻巣市の滝馬室(たきまむろ)にある常勝寺

(じょうしょうじ)に、今でも残っているのだそうです。

“口は災いの元”とはよく言いますが、たった一言、その人によかれと

思って言った言葉が、絶大なる信頼をも、あっと言う間に失い、人生を

こんなにまで狂わせてしまうなんて、本当に怖いものです。

「戦国の世」だった、ということもあったでしょうけれど、でも、現在でも

わかりませんよ。

あなたの、その会社、上司のグチ、だれかが聞いていませんか。。。?

くわばら、くわばら。。。。。。



( 鴻巣さんぽ版 第八の巻 おわり )


さんぽの一品


常勝寺から、私の家へ、春の訪れを感じながら、テクテクさんぽをして

いて見つけた、秘密のお店が今日の一品です。

JA鴻巣の馬室(まむろ)支所のすぐ前に、新鮮野菜の無人販売所が

あって、私もたまに利用させて頂いているのですが、先日その販売所

に「自家製キムチ」の紹介が書いてありました。

私、本場韓国のキムチが大好きでね。

販売所には、キムチは置いてなかったのですが、気になって、思わず

その奥のお宅に、突撃してしまいました。

本職は梨畑を経営されているのですが、おばあちゃんが、JAの役員

となって、寄り合い旅行で行った韓国ソウルで食べた、本場のキムチ

の味に、すっかり惚れ込んでしまったそうです。

自分の畑では、売るほど白菜を作っている。それじゃあ、このレシピを

身に付ければ、美味しいキムチが作れるかも!

「美味しい味」を追求できるのは、「情熱」じゃないかという私の持論を

地でいく、すばらしいお話じゃないですか!

さっそく頂いてみると、「うわ~~!この香り!この味!本物だぁ!」

鴻巣の、それも家の近くで、こんな美味しいキムチに出会えるなんて

感動です。

お店の名前は、「谷津かねこ梨園」さん。

「キムチ」の名前は、どこにもないので、ちょっとわかりつらいけれど、

実は、地元でも、静かなブームが始まっているらしいのです。

ぜひ、本場の味を試してみて下さいね。

ではでは、「アンニョ、ヒケセヨ!(さようなら)」


■ 旅の情報

○ 常勝寺
住所:鴻巣市滝馬室586

※ 鴻巣市で一番古くからあるお寺です。
亀御前の薙刀(なぎなた)が残されています。
一度ご住職に見せていただこうかな。

○ 谷津かねこ梨園
場所 : JA(農協)鴻巣 馬室支所のすぐ道を挟んだ向かいです。
梨畑の中を突っきって、普通の農家さんです。
※ キムチは、JA鴻巣の箕田(みだ)支所においてあるそうです。
まずはそこでゲットせよ!




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